塩田平の文化と歴史

● 塩野神社 社殿


 貞観15年(873)といえば、いまから約1100年も前、平安朝の初期にあたる。そのころ「信濃国塩野神に正六位上という位が贈られた」という記事が『日本三代実録』という史書に記されている。そして、それから約50年ばかりたったころ出来た有名な書物に『延喜式』というのがあるが、その中の「神名帳」の部に、「塩野神社」という神社が載せられている。それが塩野神社である。
 この『延喜式』という書物は朝廷の命令によって編さんされたものであることは、前にも記してあるが、この書にのせられている事実は、約1100年前すでに塩野神社は、中央に知られた神社であったということを物語っている。このように『延喜式』にのせられた神社を「延喜式内社」または「式内社」といい、由緒も古く格式も高い社とされる。小県郡では、生島・足島神社と、この塩野神社のほかに山家神社(真田町)、子檀嶺神社(青木村)があるだけである。
 おそらく独鈷山の水の信仰が神社のかたちをとって現れたものであろう。古来塩田の人人の崇敬が厚く、戦前は県社という社格をもっていた。
 戦国時代の後期、甲斐の武田信玄がこの地方全体を、その勢力下においたころ、彼はまず生島足島神社に願文をささげ、次にこの塩野神社に朱印状を奉って武運長久を祈っている。
 なおこの塩野神社の建築は、江戸時代に造立されたものだが、なかなかりっぱな建築である。とくに拝殿は「楼閣づくり」といって、二階建となっているのがめずらしい。

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