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 口絵安楽寺二頂相(重要文化財)

今から約730年ばかり前、時の政治の中心地鎌倉では、有名な建長寺が竣工した。建長寺は、後に鎌倉五山の第一となったほどの名刹で、わが国で禅宗の方式でつくられた最初の寺ともいわれる。
この建長寺の開山(初代の住職)として、とくに選ばれたのが蘭渓道隆というお坊さんであった。この方は中国生れの人だが、大へん学徳の高い僧であったので、時の最高権力者であった北条時頼は、礼を厚くして、この方をお迎えし、開山になって貰ったわけだ。
ところでこの道隆さんと、とても仲のよかった人に、樵谷惟仙(惟遷とも書く)というお坊さんがあった。中国に長いこと留学した方で、その間、いつも蘭渓道隆さんと一所に勉強していたので、いまでいえば親友というほどの間柄となっていた。この惟仙さんが、長い留学を終えて(一説に2回留学したともいわれる)、帰朝したとき、迎えられて入ったのが、別所の安楽寺である。
安楽寺は、後にも記すように(解説参照)信濃では、最も早く創立された禅宗の寺院である。この名刹の開山として迎えるためには、当然学徳の高い名僧でなければならない。その選に当ったのがこの樵谷惟仙さんであった。惟仙さんが安楽寺へ入ったために、この寺は、鎌倉建長寺と大変深い関係をもつようになるのだが、それは解説に詳しく記してある。(解説参照)
樵谷惟仙さんは、自分のあと、この安楽寺という名刹をつがせるのには誰がよいか日夜考えていた。そして後継者として連れて来たのが、幼牛恵仁という方であった。この方は中国の人(元の生れとも伝える)である。多分、樵谷惟仙さんが、中国に留学していたとき、その人格や学識を見ぬかれてのことであったろう。
こうして安楽寺は、開山・二世とつづいて天下の名僧が、住職の地位にいることとなった。
この二人の学徳の高いお坊さんの像(頂相という)が、さいわい安楽寺に残されている。作られたのは嘉暦4年(1329)というから、鎌倉時代末期のこと、おそらく幼牛恵仁さんのころと考えられる。
樵谷惟仙さんのやさしいお顔の中にも、学と行できたえぬいて来た凛然たる気風のただようのを誰も見逃すことはできないだろう。
また異国の人でありながら、はるばる日本へ迎えられて来た幼牛恵仁さんの、宗教や人生に対する確かな信念は、おのずから、その目鼻だちや、口元にあらわれている。
この二尊像が写実を生命とする鎌倉期彫刻の逸品といわれるのも、決して故のないことではない。(詳細は解説参照)写真上は樵谷惟仙、下は幼牛恵仁の像である。
 
撮影日:
地区/自治会: 16別所温泉/院内
シリーズ: 塩田平の文化と歴史 3口絵
登録されているキーワード: 人物 神社 史跡 観光
 
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