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 口絵大法寺十一面観音立像(重要文化財)

大法寺の長い参道が終り、石段を上るとその正面は観音堂となっている。このように、参道のつき当りに観音堂とか大日堂とか、いわゆる堂塔があるのは、その堂塔に信仰の中心があったからで、お坊さんの住む寺は、それをお守りする役目をもっていた。
大法寺の場合も、古来民衆の信仰の対象は、寺の本堂にではなく、この観音堂にあった。つまりこの中に安置される十一面観音こそが礼拝の対象であったわけだ。
この十一面観音はふだんはお厨子の中に入っておられるのだが、この書のため、とくに住職さんにお願いして、外へお出まし願って撮らせていただいたのが、この写真である。
像の高さ171センチメートル、大体普通の人の高さと思えばよい。
まず頭の上に仏面が11あるのに注意しよう。これがあるから十一面観音と呼ばれているので、これは観音様の無量の力をあらわしている。(詳しくは解説参照)
次にお姿を拝見すると、全体としてやさしく、上品な感じがただよっているのに気づかれるだろう。第一にお顔だが、いかにも円満でやさしく、気品にみちている。ふっくらとした瞼、伏目がちの眼、おとなしい鼻、口もと−いずれもおだやかで、それだけに親しみやすいお顔だ。一口でいえば慈悲円満の相というのがふさわしい。この地方の庶民も、このお顔なればこそ、種種の願いをこめてお祈りしたことであろう。
よく拝見すると胸もとから台座に至るまで、彫りがあまりきつくなく、全体の肉どりや衣文(ころものひだ)なども、どちらかといえば、おっとりとして、おうような出来である。そのあたりに、地方で造られた仏像としての古い特色が残っているのである。
故倉田文作先生はこの仏像を評して「塩田平と中央文化が結びつき、鎌倉時代にさきがけて、この土地に咲いた仏教美術の花のひとつである」と言っておられた。
桂の一木からつくり出した典型的な「一木造り」で、藤原時代中期から後期へかけての作と推定されている。信州で作られた優れた古仏の一つである。(詳しくは解説参照)
なお藤原末期には、この大法寺のある地方は、浦野庄という荘園となっていた。本家(荘園の名義上の支配者)は日吉神社(大津市、もと官幣大社)で、領家(支配者)は、後鳥羽上皇の近臣の勢力者、尊長という高僧であった。そんな関係で、この像は中央の名ある寺の仏体をモデルとして地方仏師の手によってつくられたものと想像される。
 
撮影日:
地区/自治会: 99上田市外/
シリーズ: 塩田平の文化と歴史 3口絵
登録されているキーワード: 神社 その他の文化 観光 
 
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