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 口絵″信州の鎌倉″塩田平

上田市の南西に展開する数キロ四方の盆地を「塩田平」とよんでいる。
南に、蛾蛾とした山容で知られる独鈷山(とっこさん)と、それを主峯とする山脈がつらなり、西に男神・女神の二山が、別所の出湯を抱いて聳える。これらの山山から湧く清水は、産川・湯川・尾根川・駒脊川などとなって、千曲川に注いでいる。「塩田平」というのは、これらの川の流域一帯をいうのであって、肥沃な土は、温和な気候とあいまって、かっては”塩田三万石”といわれ、上田藩の穀倉として重きをなしていた。(巻末地図参照)
ところで、この地域は、全国でも有数な文化財の密集地城として知られている。日本でただ一つしかない八角三重塔(安楽寺・国宝)をはじめとし、中部日本最古の建築といわれる薬師堂(中禅寺・重文)、重要文化財としては全国に二つしか指定されていない石造多宝塔(常楽寺)、信州最古の仏体の一つである”夢殿観音”(長福寺・重文)、”未完成の完成塔”と名で知られる三重塔(前山寺・重文)、県下最大規模といわれる塩田城跡(東前山区・県史跡)等等国宝・重文級の文化財だけでも、十指に余るほどの数である。
これらは、いずれも鎌倉時代から室町時代にかけてつくられたものだが、このほかにも、たくさんの文化財があり、その造立は、やはり、鎌倉・室町時代(これを中世といっている)にさかのぼるものと推定されるものが多い。
中世の文化財がこれほど密集しているところは、全国でも稀で、そのため塩田平は早くから、学界などの注目をあびる場所となっていた。戦後、この地域に「信州の鎌倉」という肩書がつけられ、それが定着してしまったのはこのような理由によっているわけだ。
しかし、ちかごろ、新らしい角度からの地方史の研究がすすむにつれて、この地方とその周辺は、単に中世ばかりでなく、古代から信濃の歴史にとって、きわめて重大な役割をになってきた場所である一ということがわかってきた。
この数キロ平方にもみたない盆地とその周辺が、なぜそのような歴史を秘める場所となったのだろうか。
今、塩田平とその周辺に数多くのこっている文化財はこの問いに答えてくれる絶好の存在ともいわねばならない。「塩田平」・この”山”と”いで湯”と豊かな文化財にめぐまれた地域は、また信濃にとってかえがたい歴史と文化の源泉の地でもある。
(写真は「塩田平」全景、別所の市峠から撮影したもの。前方山脈の最高峯は独鈷山。はるか左端に、浅間山がみえる)

 
撮影日:
地区/自治会: 15西塩田/
シリーズ: 塩田平の文化と歴史 3口絵
登録されているキーワード: 史跡 観光  
 
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