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 解説国分寺薬師堂と勧化帳

現在の国分寺が、何時今の地点に移転したかについてはさだかではない。ただ境内に鎌倉前期のものと見られる石造多宝塔が建立されていることから推して、鎌倉の初期には現地に移っていたかとも考えられる。平将門の乱に焼けたというのは、おそらく真実に近いであろうから、平安末期には衰退していたのを、鎌倉初期に頼朝の力によって現地に復興したという伝承も、理由のないことではあるまい。
その後、国分寺というよりは、「お薬師様」として庶民の信仰があつく、そのため、現代まで1200年の法燈を伝えることができたと考えられる。
現在の本堂は、天保十一年(1840)起工し、万延元年(1860)竣工したもので、20年の歳月を費やして造営されている。間口14.5m、奥行18.9m、高さ17.2mという壮大なもので、東信濃最大の伽藍建築である。
この資金は、上田付近のみならず、佐久・更埴・埴科をはじめ信濃全体の篤志家の浄財によったもので、上田藩主松平伊賀守は、とくに人足千名を寄進してその工事を激励している。このときにつくられた「勧化帳(かんげちょう)」(寄付者名簿)七冊が、寺に保存されているが、各地を持ちまわったため、金襴の表紙も、指のあたるところだけ穴があくくらいにすりへっている。発願者の努力のあとがしのばれる記念物である。写真は国分寺薬師堂。
 
撮影日:
地区/自治会: 09神川/国分
シリーズ: 塩田平の文化と歴史 4解説
登録されているキーワード: 神社 史跡 観光 
 
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