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 解説塩田庄と源頼朝

木曽義仲が戦死した後、政治の実権は、おのずから源頼朝のにぎるところとなっていった。
鎌倉に政治の中心(幕府)をおいた頼朝は、まず全国の重要な場所に地頭をおき、腹心の家臣をそれに任命して、国内の統一をはかったのであるが、信濃では、塩田地方にもまず地頭がおかれた。
塩田地方は当時「塩田庄」といって、京都の最勝光院という寺の庄園であったが、この土地の重要性に目をつけた頼朝は、自分のもっとも信頼する惟宗忠久(後に島津忠久といい、薩摩藩主島津氏の祖となる)を、塩田庄の地頭に任命してこの地方一帯を支配させたのである。(写真)
 
撮影日:
地区/自治会: 15西塩田/
シリーズ: 塩田平の文化と歴史 4解説
登録されているキーワード: 環境 観光 史跡 その他の文化
 
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