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 口絵生島足島神社起請文(県宝)

生島足島神社(解説参照)には多くの古文書が残されているが、中でも有名なのは、いわゆる「生島足島神社起請文(きしょうもん)」である。
起請文というのは、”神仏に誓って約束する文書”という意味だが、この生島足島神社に所蔵されている起請文は、あの有名な武田信玄が、甲州・信州・上州などを支配下においたとき、その各地方の武将に対し、自分に忠誠を誓わせた文書で、現在83通もそっくり神社に残っているのである。
ここに掲げたのは、そのうちの1通で、信玄の甥武田信豊(六郎次郎)が、信玄の重臣吉田左近之助・浅利右馬助両名宛にさし出したもの。信豊という名前と、その下にある書判(かきはん)の上に、血のあとが見え、また起請文の紙の中ほどの下に、血の滴っているあとがわかる。
これらの起請文には”熊野午王紙”という特別の紙を用い、「信玄様に対し、どんなことがあっても忠節を尽すこと。もしそむいたら、梵天・帝釈天あらゆる神仏からどんな罰でも甘んじてうけること」など箇条書きにして記してある。
大体、永禄9年(1566)から、永禄10年(1567)にかけての−−いわば信玄の全盛期というべきころのものなので、信玄の支配下にどういう武将が入っていたか、その武将たちは、信玄にどんなことを誓わせられたかなどがよくわかり、戦国史を研究するためには、きわめて貴重な史料とされている。
とくに信濃関係の武将が37通にも上っていることは、信玄が信濃の経略にとくに意を用いたことを示すもので、信濃史にとっても絶好の史料といわねばならない。
なお当時、生島足島神社は、「諏訪上下大明神」として地方の信仰を集めていたことが、これらの起請文や、信玄自筆といわれる願状などからわかっている。
 
撮影日:
地区/自治会: 13東塩田/下之郷
シリーズ: 塩田平の文化と歴史 3口絵
登録されているキーワード: 神社 その他の文化 観光 
 
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