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 須川の巻

明治一四年の諏訪形村の記録に、「須川と云ふ小名あり」「分離年月は古昔の事に在りて詳ならず」と、説明されています(「長野県町村誌」)。つまり、須川は古くから諏訪形の枝郷であったわけです。
須川湖は標高約七百メートル、周囲およそ三キロで最も深いところは約五メートルとのことです。この湖は最初小さな沼でしたが、仙石氏が上田城主だった頃(一六二二〜一七〇六)、その沼を利用し灌漑用地として築いたと言われております。
その後、何度も池の拡張工事が行われましたが、明治時代の『長野県町村誌』には「須川池」の水は諏訪形村の十町八畝八歩の田圃を潤すと記されています。
この池の沈鐘伝説も広く知られています。昔、国分寺の鐘を盗んだ賊が須川湖のほとりまで逃げて来ますと、突然「国分寺恋しや、ぼぼらぼうん」と鐘が言い出したのです。盗賊が驚いていると鐘が動き出し須川湖に沈んでしまいました。
それからはこの鐘が湖の主となり、湖で溺れた者が「国分寺に行く」と叫ぶと主が助けてくれるようになったということです。
里見とんの長編小説『十年』には終戦前後の上田が書かれていますが、主人公の家族たちが須川でキノコを採るシーンに沈鐘伝説のことが出てきます。
 
撮影日: 平成5年6月14日
地区/自治会: 06城下/諏訪形
シリーズ: 上田ところどころ 地域
登録されているキーワード: その他の文化 その他の季節 農林水産業 
 
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