塩田平の文化と歴史

● 小島大池


 塩田平は県下で最も雨量の少い所で、年間雨量は1、000ミリメートル未満といわれている。従って各所に溜池が数多く造られているが、古来これにまつわる伝説も多い。この小島にある大池には実際に、次の様な事件があった。
 元禄2年7月のことである。下之郷山の方から騒ぎがあり、村人がとび出して見ると猪がたくさんやってきて保野の田圃の稲を荒しはじめた。
 困った百姓たちが空鉄砲をうっておどすと、おどろいた猪は群をなして逃げ小島の大池にかけこんだ。その数は22匹ほどであったという。そのうち子猪の5匹が、藻に足をからませて溺れ死んでしまった。
 徳川時代に、世界で最も悪法の一つといわれた、「生類あわれみの令」というものが出されていたころのことである。早速庄屋は上田のお城に注進した。郡奉行をはじめ関係の役人が出張して、委細のこらず聞きとった上、次の様な処置が申し渡された。
 まず、大池の東にある長池の脇に、入念に猪の死がいを埋め、1m程の木札を作り、それに「元禄二年巳七月廿三日、小島大池に入り申し候猪の子五つ、もく(藻のこと)にからまり死に申し候につき、此所に埋め置き申し候、以上」と書いて立て、なおそこに垣根をつくり野犬などに荒されないようにして一件が落着した。(『上田小県誌』近世編による)
 塩田にはこんな話も残されているのである。

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