塩田平の文化と歴史

● 庶民の仏 元木の地蔵と末木の薬師


 昔、弘法大師がこの塩田の地を訪れた時、沢山(産川の上流)にあった柳の大木を見て、これ霊木なりとして幹の根元の方で地蔵尊を彫り、またその末の方から薬師像を彫ったという伝承があり、その像というものが残っている。
 根元で彫った地蔵尊は、独鈷山の麓元木という地籍(現 手塚区)に安置されていた。塩田は有名な旱ばつ地帯であるため、村人は”雨乞い地蔵様”として信仰した。その後、木曽義仲の臣、手塚太郎光盛の守本尊となり、光盛寺に祀られていたが、この寺が廃寺となってからは、小堂を建てて堂守により守られてきた。昭和になってから無量寺(手塚区)の境内に移されている。
 多くの言い伝えをもったこの像は、高さ1m程の地蔵尊で、勢多迦童子と金伽羅童子を従えている。
 また末木で彫ったと伝えられる”末木の薬師像”は、隣の中野区に祀られているが、像容も似ている。
 薬師様に具わるべき脇侍の日光・月光の両菩薩と、十二体の神将等がすべて整っているのは珍しい。
 この「元木の地蔵」と「末木の薬師」は、昔は向かい含って祀られていたという。これは手塚・中野の二つの集落が水の関係で深いつながりがあったことを物語っている。写真は元木の地蔵。

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