塩田平の文化と歴史

● 宝篋印塔(ほうきょういんとう)


 宝篋印塔(ほうきょういんとう)は供養塔の一種である。大部分は石造りのもので、我が国では平安末期から造り始められ鎌倉時代中期以降供養塔や墓塔としてさかんに造立されるようになった。
 長野県では東信地方に多く、とくに上小地方はその密度において県内第一といわれている。
 此の宝篋印塔の出土地は別所三楽寺の一つであった長楽寺(現在廃寺)の境内と推定されているところである。基礎・塔身・笠など、あきらかに関東形式に属するもので、鎌倉末から室町にかけての造立といわれている(相輪は後補のものと思われる)。総高103センチメートルの小型ながら端正・古雅なたたずまいは、よく塩田文化を象徴する遺品というべきである。

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