塩田平の文化と歴史

● 北向観音堂


 本尊は千手観音菩薩。
 天台宗常楽寺の所轄となっている。昔から厄除の観音様として、近在の人は勿論、県内外の信者に親しまれてきた。北向の名は長野の善光寺の南面に相対するものといわれ、善光寺の未来往生と、観音の現世利益の功徳は一体のもので、その一つを欠けば”片詣り”であるなどと言われている。
 創建については「北向山厄除観世音縁起」という書物にくわしく記されているが、その歴史的根據はさだかではない。長い参道が湯川を渡り、石段を上った正面に本尊をまつるお堂があるところをみれば、伽藍配置の上からみても古い由来をしのばせる。石段の右側、桂の老木の根方に、別所三楽寺(安楽・常楽・長楽)の一つである長楽寺があった。その位置からこの長楽寺は観音堂の本坊であったと想像される。(ちなみに長楽寺の山号が北向山である事も古文書によって認められている)。元禄7年(1694)観音堂は常楽寺の所轄になっているので、長楽寺はそれ以前に廃絶したものであろう。
 この地籍は「院内」というが、鎌倉から室町時代にかけての夥しい数の、優秀な石塔群が発見された場所で、学界から大変注目されている。このことから、この地は中世における観音堂を中心とする一大霊場であったことが想像される。
 この観音堂は正徳3年(1713)に焼失8年後の享保6年(1721)に再建され、その後幾度かの改修がされて現在に至った。境内には数多くのお堂や鐘楼・句碑・歌碑また石燈籠などが立ちならび、いまもこの地方きっての霊場である。

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