塩田平の文化と歴史

● 金主(こんのう)の石造五輪塔(県宝)


 この五輪塔は凝灰岩質石材で、地・水・火輪は各一石で積上式とし、風・空輪を一材で彫り出している。
 地輪−横巾に対する高さが55%で安定感がある。
 水輪−球形をやや押しつぶした形で、上部にふくらみを感じさせる。四面に陰刻された梵字「バン」(金剛界大日如来)は円相がなく大柄である。
 火輪−正三角形の上部を切りとった形に近く、屋根の稜線はほぼ直線で、上部でしまっている。軒反りは上下とも心反りで軒口も垂直に近い。
 風空輪−よく張った曲線の風輪と栃の実に近い団形の空輸である。
紀年銘がないので制作年代は不明であるが、各部に鎌倉初期の遺風をよくのこし石造文化財として、きわめて貴重な存在である。
 舞田法樹院の寺伝によれば、文治2年(1186)この地に金王庵を創建した渋谷土佐入道昌順の墓塔と伝えているが、これは鎌倉時代の武将、金王丸土佐坊昌俊といわれた人物と思われる。金王丸は相模の国の名族渋谷氏の出自で、源義朝・頼朝に仕えその勇名をうたわれた。渋谷一族は武蔵・相模・九州等で栄えたが、鎌倉後半期に一族の間で争いがあり、その一派が塩田北条氏を頼ったいきさつもあった。これらを考察すると、金王五輪塔は渋谷金王丸にゆかりをもつ供養塔であることはまちがいないと思われる。
 伝承として岡(現在上田市)の岡村城主岡村権之左ヱ門平清氏が源頼信に攻められて落城、この地まで逃れたが、頼信の臣、ト部季武に首をはねられた。後世の人がその供養のためにこの五輪塔を建立したという。(この地方にのこる「舞田山瓢箪軍記」による。)

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