塩田平の文化と歴史

● 前山寺 前山寺(ぜんさんじ)の歴史


 前山寺は、弘仁年中(平安初期)の創立と伝えられる。はじめ古義真言宗であったが、応永年中(1394〜1427)、讃岐善通寺から来た長秀上人が再興し、信濃四談林の筆頭となったという。大檀越(壇家の最高勢力者)は福沢氏であったというから、塩田城の祈願寺としての性格をもっていた寺であることがわかる。
 江戸時代に入って貞享年問(1684〜1686)、京都の智積院末となり、新義真言宗の「小県郡常法談林所」といわれ、小県郡における新義真言宗の中心的役割を果した。筑摩・埴科・小県にわたって末寺が40余カ寺あったというが、現在11カ寺が残っている。
 山号を独股山(とっこさん)というのは、奥の院が独鈷山(現弘法山)にあるからで、現弘法山には、弘法大師が「独鈷」(仏事に使う道具)を埋めたという伝説があり、また大師修行のあとと伝える岩窟がある。
 (いま塩田平で独鈷山といっているのは、この弘法山の背後にある峨峨たる山だが、これは、現弘法山の旧名独鈷山という名が移ったものだ。)
 戦国時代になって、この地方を領有した武田氏の信仰が厚く、武田勝頼も朱印状を寄せて寺領を安堵している。
 1m以上もある茅葺屋根の厚みは、寺の由緒をそのまま象徴し、堂堂たる「向拝(ごはい)」は、その向うに見える大玄関とともに、寺の格式をよく物語るものといえよう。
 典雅・流麗な三重塔は、この重厚な本堂と相応じて、深い木立ちのなかに、荘厳な仏境をつくり出している。年間おびただしい人人が、この霊地に詣でるのも、けだし当然といわねばならない。

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