塩田平の文化と歴史

● 塩田城跡と福沢氏


 塩田地方は、鎌倉幕府が滅亡するとともに北条氏にかわって村上氏の勢力下におかれた。村上氏はいまの坂城町を本據とした豪族であるが、塩田地方の支配権を握ると、重臣福沢氏を代官として塩田城に置き前進基地とした。(福沢氏は室賀峠北麓の要衝福沢の出身である)
 福沢氏の名が史料にみえるのは、室町初期の文安5年(1448)ごろからであるが、それより前からここに在城しており、天文22年(1553)、武田信玄に攻められて落城するまで少くも百数十年間、村上氏の代官として塩田城を管理していた。時には村上氏が直接ここを居城としていたこともあったらしい。
 昭和50年から3年間にわたる発掘によって発見されたのは、主としてこの福沢氏在城時代の遺構であり遺物であると推定される。
 写真は、第1年度の発掘にあたり、みごとに現れた居館の一部、6個ずつ6列の礎石が見える。つまり五間四方の建物があったわけだ。金蒔絵の漆塗りの盥など出土しているところをみると、城主級人物の居所であったかも知れない。

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