塩田平の文化と歴史

● 塩田城跡(県指定史跡) 塩田城跡と北条氏


 建治3年(1277)、時の連署(副執権=今でいえば副総理)北条義政が、突如鎌倉を出て、信濃の塩田へ移ったということは、いくつもの史書に記されているが、その原因は何であったか明らかではない。
 しかし塩田へ居館をすえた塩田北条氏は、義政−国時−俊時と3代56年にわたってこの地方に大きな勢力をもっており、とくに国時・俊時は幕府でも重要な役目をつとめていたことは諸史料の証明するところである。
 その塩田北条氏の本據としたのがこの塩田城である。
 巻頭カラー写真の部でも説明した通り、先年行われた発掘では、鎌倉まで遡る遺構は確認し得なかったけれども、発掘した遺構の下に礎石らしきものが認められており、さらに城下町一帯−とくに北部の産川沿いに、南部高地より一時代古い城郭の跡と覚しきものがあることが、地名や微地形・堰などから指摘されている。
 それにしても、東前山集落をすっかりつつみこんで、なお余るような広大な城郭のあとは、「信濃随一といって過言でなく」(『県文化財報告書』)やはり鎌倉時代、塩田における北条氏の権威のあとと推察するよりない。
 ちなみに塩田北条氏の系譜は、次の写真に示したようなものだが、この家系は鎌倉北条氏にとって、たいヘん重要な位置を占めていることも注目されるべきであろう。写真は塩田城址。

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