塩田平の文化と歴史

● 常楽寺 故郷へ帰った多層塔


 重要文化財に指定されている常楽寺多宝塔のすぐ右側に、古雅掬すべき一基の多層塔がたっている。これが過日新聞をにぎわした”里帰りの多層塔”である。
 話は大正13年(1924)にさかのぼる。石造文化財の宝庫といわれる塩田平でも、もっともその数が多い別所温泉の北向観音の近く、現在の大島屋旅館の裏山で水道工事を行っていた際、地下約1〜2mのところから、たくさんの多宝塔・多層塔・五輪塔・宝篋印塔などが発見された。186個にも上る各部分を、推定し得るものだけ組立てて復原してみたのが、次の写真である。
 仏教美術の権威故天沼俊一博士は、これを調査に来られて、「このような古くて美しい石造文化財が、これだけ集まっているのをみたことは、生涯の幸せである」とまでいわれた。その優秀な石塔が、この時から約2〜30年の間に他所へ流出してしまって一基もなくなってしまった。
 このことを残念に思っていた別所の篤学者が八方手をつくして行方を探していたところ、偶然のことから滋賀県の旧家に1基あることをつきとめ、北向観音の別当常楽寺の住職さんと共に懇願し、遂に昭和56年故郷の別所へ帰って貰うことができた。実に出土してから約60年ぶりのことである。
 各層の屋根の反り、軒の厚み、とくに完全に保存されていた相輪部のかたちなど、古形をよく残し、少くも鎌倉中期を下らぬ逸品と見受けられる。天沼博士の言われるまでもなく全国的にも貴重な存在と考えねばならない。(写真)

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