塩田平の文化と歴史

● 東山道 浦野駅(うらののうまや)


 東山道については、その概要を前に記しておいたが、上田・小県地方には、浦野駅・曰理駅という二つの駅があった。浦野駅には馬が15匹常備されていた。普通の駅は10匹常備であるが、この浦野駅の常備数がとくに多いのは、もちろん保福寺峠という険路をひかえていたためである。(そういえば、保福寺峠の向う側にあった錦織駅も15匹の常備を命ぜられていた。)
 その浦野駅は、大法寺の南方の平坦地にあったと推定されている。ここに「本宿」(元宿か)という小字名が残っており、何よりも東山道の開通した大宝年間に創立されたという古刹大法寺(昔は大宝寺と書いた)があることが、その想定の根源となっている。駅には駅寺があるのが通例で、大法寺(大宝寺)は浦野駅の駅寺と考えられる寺である。
 昭和50年(1975)春・秋の2回にわたり、この推定浦野駅跡の発掘があった。その結果、120にあまる柱穴とともに、おびただしい土器等の出土があり、大体平安期のものであることから、このあたりを浦野駅跡とする推定も、可能性がきわめて濃いものとなった。いま青木村ではその一部を保存して児童遊園地としている。
 写真上はその遊園地で、右方山麓を通るのが東山道(今は舗装されている)の一部(推定)である。

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